私事ですが、野の草花が好きです。雑草といわれる花です。雑草という名前の草はなく、1つ1つに名前があります。それと同じで、雑音にも1つ1つに意味があり、その音を聞き分けることも1つの生きる力にもなり得ます。
しかし、花壇では、植えた花がきれいに見えるように、雑草(野の花)は抜き取ります。難聴者にとって、雑音は騒音になることが多く、とても嫌なものなのです。人は、聞きたい音を大脳が選んで聞いているわけです。しかし、難聴児の場合、いすのガタガタとなる音なども、人の声と一緒になると選び聞き取ることができず、うるさくなるわけです。健聴児は、集中すると、先生の声を聞き分けることができます。難聴児は、小さい音も聞こえにくいのですが、大きい音(特に雑音が多くある環境)も人よりうるさく感じているのです。
ADHD気味の子どもでなくても、授業中に、先生の話より、外の音が気になったり、手元の消しゴムの模様が気になったりしていると、先生の声を聞き逃してしまいます。何に集中するかで聞こえなくなるものです。逆に、先生の話に集中していると、雑音は気になりません。難聴児の場合、それが困難だということです。
聞き取れる小さい音から苦痛を感じない大きな音の聞こえる範囲をダイナミックレンジといいます。ダイナミックレンジは個人差があります。難聴者は、ダイナミックレンジが人よりとても狭いのです。また、健聴児の中にも、運動会などで使うスターターピストル(雷管)の音が怖く感じる子どももいます。我慢して慣れたら大丈夫というわけでもないのです。
難聴児と同様、音に敏感な子どもにも教育的配慮が必要です。